「こみゃく」二次創作ガイドは、万博の記憶を“閉幕後資産”に変えられるか

はじめに

大阪・関西万博の会場を訪れた人の記憶に強く残っているものの一つが、赤や青を基調にした、目玉や細胞を思わせる独特のデザインでしょう。公式キャラクターのミャクミャクとは別に、会場装飾の中で存在感を放ち、来場者の間では「こみゃく」という愛称まで定着しました。今回、万博協会がこの「こみゃく」について二次創作の手引を公表したことは、単なるファン向けのルール整備にとどまらない意味を持っているように思います。

この動きは、万博という巨大イベントの記憶を、閉幕後にどう社会へ残していくのかという問いに対する、一つの知財・ブランド戦略として読むことができます。本稿では、「こみゃく」二次創作ガイドの意義を、著作権、共創、都市ブランドという三つの観点から考えてみます。

「使わせない」ではなく「安心して使ってもらう」発想

今回の手引で注目すべきなのは、万博協会が二次創作を全面的に禁止するのではなく、一定の条件のもとで明確に許容する姿勢を打ち出した点です。個人による非営利・私的使用の範囲であれば、イラストやデジタル画像、衣装やぬいぐるみなどを作成し、個人のSNSやブログに投稿することが認められます。一方で、二次創作した作品を用いたグッズの販売や配布は引き続き認められません。

この線引きは非常に重要です。著作権法上、私的使用の範囲であれば創作自体は可能でも、SNS投稿まで行うと、通常は「私的使用」の範囲を超えるため、権利者の許諾が必要になると整理されます。そこで協会があらかじめ条件を明示し、許容範囲を示すことで、ファンは法的な不安を抱えずに創作・発信できるようになります。

つまり今回の手引は、権利行使を緩めたというより、権利者がルールを整えたうえで、ファン活動を制度的に受け止めたものだといえます。知的財産を守ることと、文化を広げることを対立させるのではなく、両立させようとする発想が見て取れます。

「こみゃく」はなぜ面白いのか

「こみゃく」が興味深いのは、最初から公式キャラクターとして設計された存在ではなく、会場装飾の中で育ち、来場者側の呼称によって文化化していった点にあります。正式名は「ID」であり、「個のいのち」を表現しているとされますが、実際に広く浸透したのは、SNS上で自然発生的に広がった「こみゃく」という愛称でした。

ここには、現代的なブランド形成の特徴がよく表れています。ブランドは、発信者が一方的に定義するだけでは強くなりません。受け手が名前を付け、意味を与え、使い方を発明していくことで、初めて社会的な厚みを持つようになります。「ミャクミャクの子どもっぽい」「会場のあちこちにいてかわいい」「自作グッズを身につけて会場を歩きたい」といった感覚が積み重なることで、「こみゃく」は単なる図案から、共有される体験の象徴へと変わっていったのだと思います。

だからこそ、今回の手引は、すでに生まれていたファンの実践を後追いで承認する意味を持っています。協会がゼロから文化を作ったというより、すでに現場で育っていた文化を、知財ルールの側から受け止めたと見るほうが実態に近いでしょう。

万博の記憶を残すうえでの本当の論点

今回の記事では、「記憶の継承」という言葉が繰り返し登場しています。ここが最も重要なポイントです。万博のような大型イベントは、開催中には熱狂を生みますが、閉幕後に急速に忘れられていく危うさも抱えています。そのとき、公式に制作されたロゴやキャラクターを厳格に管理するだけでは、記憶は生活の中に残りにくいです。

一方で、ファンが自作のキーホルダーを作り、SNSに投稿し、実際に会場で身につけるような行為は、イベントの記憶を個人の体験に結びつけます。記憶は、公式発信だけで残るのではなく、個人が再編集し、自分の言葉や手仕事で持ち帰ったときに長く残ります。今回の手引は、その回路を制度として後押しするものです。

特に印象的なのは、会期中にミャクミャクの手作りキーホルダーを作って楽しんだ来場者の声です。「自分で作ったものを会場で付けたらワクワクしそう」という感覚は、まさに参加型イベントの本質を表しています。観客であるだけでなく、少しだけ作り手にもなることで、万博は消費されたイベントではなく、自分の経験になります。その延長線上に「こみゃく」の二次創作解禁があるのだと思います。

知財戦略として見たときの巧みさと限界

知財戦略として見ると、今回の方針はかなり巧みです。販売や配布のような商業利用は引き続きコントロールしつつ、個人の創作・発信は促進することで、ブランド拡散のコストを下げながら、無秩序な商品化は防ぐことができます。権利管理とコミュニティ形成のバランスを取ろうとする設計です。

ただし、ここには限界もあります。流通科学大の川村教授が指摘するように、長く親しまれる存在になるには、単にデザインが面白いだけでは足りません。「いのち」「つなぐ」といった万博の世界観と結びついた物語が、繰り返し語られ続ける必要があります。これは非常に重要な指摘です。

実際、強いIPは、見た目の印象だけでは持続しません。そこに何が込められているのか、なぜその形なのか、どのような価値観と結びついているのかが共有されて初めて、長期的な資産になります。「こみゃく」はビジュアルとして強い一方で、その背後にある「個のいのち」というコンセプトが、どこまで社会に浸透しているかはまだ途上でしょう。今後の課題は、ファンの創作が広がることそのものではなく、その創作が万博の理念とどう接続されていくかにあります。

都市ブランドへの展開可能性

考案者の引地氏が述べるように、「こみゃく」を観光案内やサイン、自治体広報などに展開し、都市の統一感やブランド力向上に生かすという発想も興味深いです。これは、万博由来の意匠をイベント限定の記号で終わらせず、都市の景観資産、コミュニケーション資産へ転換しようとする提案だからです。

もしこれがうまくいけば、万博は一過性の催事ではなく、大阪という都市のイメージ資産を更新する契機になります。一般に、イベントのレガシーというと、建築物や交通インフラが語られがちですが、本当に長く残るのは、街の中で繰り返し目にされる視覚言語かもしれません。人がそれを見て「あの万博の空気感」を思い出すなら、それは十分にレガシーです。

もっとも、そのためには「こみゃく」が単なる装飾記号にとどまらず、市民や来訪者が前向きな意味づけをできる存在であり続ける必要があります。行政や観光の場面に広げるほど、デザインの自由さだけでなく、意味の共有が重要になります。

おわりに

「こみゃく」の二次創作ガイド公表は、小さなニュースに見えて、実はかなり示唆的です。そこには、知財を閉じるのではなく、条件付きで開くことで文化を育てるという発想があります。また、万博の記憶を公式アーカイブに閉じ込めるのではなく、ファンの創作やSNS発信を通じて生活の中へ延命させる戦略があります。

万博の成功は、会期中の来場者数や話題性だけでは測れません。閉幕後に何が残るのか、どのように語り継がれるのかまで含めて初めて評価されるものです。その意味で、「こみゃく」を安心して作り、投稿し、思い出として持ち続けられる環境を整えたことには、大きな意味があります。

今後問われるのは、「こみゃく」が単なるかわいい意匠で終わるのか、それとも「いのち」や「つながり」という万博の理念を日常の中で思い出させる文化的な記号になれるのかという点です。今回の手引は、その可能性を開く第一歩として評価できるのではないでしょうか。