米国で、メタ(旧Facebook)に対する新たな集団訴訟が提起されました。原告となったのは、竜巻や巨大嵐を追いながら命がけで撮影を行う「ストームチェイサー」と呼ばれる映像クリエイターたちです。彼らは、FacebookやInstagram上で自身の映像が無断転載され続けているにもかかわらず、メタが十分な対応を取らず、著作権侵害を事実上黙認してきたと主張しています。
本件は、単なる「クリエイター対プラットフォーム」の紛争ではありません。SNSのビジネスモデルそのもの、そして生成AI時代におけるデータと権利の扱い方を、根本から問い直す問題です。
命がけの映像は「作品」であり「資産」である
今回の訴訟を主導するのは、米国で著名なストームチェイサー、ブランドン・クレメント氏らのグループです。嵐や竜巻に接近して撮影される映像は、ニュース性が高いだけでなく、研究や防災啓発にも利用される社会的価値を持っています。
彼らにとって映像は、単なるデータではありません。時間、危険、専門知識を投入して生み出した「作品」であり、同時に生活を支える「資産」でもあります。その映像が無断転載され、再生数や広告収益だけを第三者に奪われる状況は、創作活動の基盤そのものを揺るがします。
DMCAは本当に機能しているのか
原告らは、無断転載が見つかるたびに、デジタルミレニアム著作権法(DMCA)に基づく削除通知を提出してきたといいます。その件数は数百件に及ぶとされます。
しかし訴状では、削除要請が十分に処理されず、侵害投稿が残り続けたケースがあったと主張されています。規約上は著作権侵害を禁じながら、実務運用が追いついていない――。この「建前と現実の乖離」は、多くのクリエイターが長年感じてきた不満でもあります。
さらに深刻なのは、自動検知システムの誤作動によって、侵害者側が正当な権利者として扱われ、逆に本来の権利者がアカウント停止やブロックを受ける「逆転現象」が起きていると指摘されている点です。
アカウント停止は事実上の営業停止である
SNS上のアカウントは、現代のクリエイターにとって単なる個人ページではありません。作品発表の場であり、ファンとの接点であり、取引先に対する信用の証明でもあります。
そのアカウントが誤判定で凍結されれば、収益の減少にとどまらず、社会的信用そのものが傷つきます。権利侵害を防ぐはずの仕組みが、権利者を排除する結果になっているとすれば、それは制度の失敗だと言わざるを得ません。
なぜプラットフォームは動きが鈍くなるのか
原告側が指摘するのは、メタが「侵害を放置した方がトラフィックを維持できる」という構造的誘惑を抱えている点です。SNSの広告ビジネスは、基本的にユーザーの滞在時間と再生回数に依存します。目を引く動画が多いほど、短期的には収益が伸びます。
無断転載されたバズ動画が混ざっていても、数字は作れてしまう。著作権対応を厳格化すれば、再生数が落ち、収益も下がる可能性がある。このジレンマが、対応を遅らせる背景にあると考えられます。
ここで問われているのは、怠慢ではなく価値判断です。成長を優先するのか、それとも正当性を優先するのか。メタはその選択を迫られています。
この問題は生成AI時代と直結している
今回の訴訟が重要なのは、著作権侵害の議論が生成AIの学習データ問題と地続きだからです。動画生成AIやマルチモーダルAIは、高性能化のために大量のコンテンツを必要とします。例えば、OpenAIの動画生成AI「Sora」のような技術も例外ではありません。
著作権侵害コンテンツの放置と、AI学習データの問題は同一ではありませんが、どちらも「権利処理を後回しにしやすい産業構造」という共通の根を持っています。もし裁判を通じてプラットフォーマーの管理責任が強く認定されれば、AI企業も含めて、権利処理コストを正面から負担する流れが加速するでしょう。
日本にとっても他人事ではない
この訴訟は米国で起きていますが、日本のクリエイターや企業にとっても対岸の火事ではありません。日本でも、動画や画像、広報素材がSNS上で無断利用される事例は後を絶ちません。
企業がSNSをマーケティングに活用する際も、「どこまでが適法か」「二次利用に当たらないか」を曖昧にしたまま進めれば、炎上や訴訟のリスクを抱えることになります。プラットフォーム責任が問われる時代には、利用者側のリテラシーも同時に問われます。
成長至上主義はどこまで許されるのか
今回の集団訴訟の本質は、勝敗そのものではありません。巨大プラットフォームが、違法行為を防ぐインセンティブを本当に持てるのか、持てない構造なら社会はどう設計し直すべきか――。その問いが司法の場に持ち込まれた点に意味があります。
生成AIが社会インフラとなり、映像やデータの価値が高まる時代に、著作権は「守るべき過去」ではなく「競争力の源泉」になります。無断転載が許される世界では、最前線でリスクを取り、創作を続ける人が報われません。
メタに突きつけられた今回の訴訟は、成長の陰で見過ごされてきた問題を、社会が本気で問い直す局面に入ったことを示しています。そしてそれは、SNSと生成AIの未来に対する、重い警告だと言えるでしょう。
