米国の中国人留学生ビザ取り消し方針──国家安全保障か、学術自由の侵害か

2025年5月29日、米国務省の報道官タミー・ブルース氏が記者会見で発表した新方針──中国共産党と関係のある中国人留学生のビザ取り消し──は、米中関係に新たな火種を投じる内容でした。国家安全保障を理由に掲げつつも、その実態と波紋は「学問の自由」や「多様性の価値」とのせめぎ合いを映し出しています。

国家安全保障という論理

ブルース報道官は、中国が米国の大学を通じて軍事力増強につながる研究成果や知的財産を不正に取得しているとし、それを防ぐための措置だと強調しました。確かに、先端技術の流出が軍事転用されるリスクは看過できない現実です。国家が自国の安全保障を最優先に考えるのは当然とも言えます。

しかし、問題はその「線引きの曖昧さ」にあります。「中国共産党と関係がある」とされる基準は明示されておらず、「重要分野」という言葉も幅広く解釈可能です。このままでは、特定の出自を持つ学生が広範囲に排除されかねません。

学術の自由と米国のソフトパワー

米国の高等教育機関は、長年にわたり「開かれた知の空間」として世界中から優秀な学生を惹きつけてきました。国籍や思想、文化背景を超えて議論し、学び合う環境こそが、米国の大学の競争力の源泉だったはずです。

ブルース氏は「米大学の卓越性に惹かれて学生は集まる」と自信を見せましたが、制度として差別的な審査基準が敷かれれば、その信頼も揺らぎかねません。「誰が敵か」をラベリングする社会では、真の自由な学びは成立しにくくなります。

民主主義と「政治的中立」の矛盾

加えて、報道官はガザ地区をめぐる学生デモへの懸念にも言及し、「大学は政治的洗脳や活動家の育成の場ではない」と発言しました。これは、一見もっともらしく聞こえる一方で、大学が社会的な対話や批判的思考を促す場であることを否定しかねません。

かつて冷戦期においても、大学は政権批判や平和運動の出発点となることが多々ありました。それは民主主義の健全な機能の一部であり、大学を「政治的に無菌化」することは、結果的に多様な価値観の排除につながる危険を孕んでいます。

安全と自由、その狭間で

このビザ政策が示しているのは、米国が「安全」と「開放性」のバランスにいかに悩んでいるかという現実です。確かに安全保障は重要ですが、それが過剰な排除や監視と紙一重になるならば、アメリカの掲げてきた理念──自由、平等、寛容──そのものが問われることになります。

本政策は、単なるビザの問題にとどまらず、グローバルな教育・研究の未来に対する試金石とも言えるでしょう。