はじめに
Xをめぐる音楽出版社との訴訟は、単なる「SNS上の海賊版対策が甘かったか」という話ではなく、オンライン・プラットフォームがユーザーの著作権侵害についてどこまで責任を負うのかを問う重要事件になっています。2023年には17の音楽出版社が、約1700件の著作物に関する侵害を理由に、Xに対して2億5000万ドル超の損害賠償を求めて提訴しました。その後、2024年3月にはテネシー州連邦地裁が直接侵害と vicarious liability の主張を退けつつ、寄与侵害については一部の論点に限って審理継続を認めました。
しかし、空気を一変させたのが、2026年3月25日の米連邦最高裁による Cox Communications v. Sony Music 判決です。最高裁は、サービス提供者がユーザーの侵害について寄与侵害責任を負うのは、そのサービスが侵害利用を意図して提供されたといえる場合に限られ、その意図は、侵害を積極的に誘発したか、あるいはサービス自体が実質的な非侵害用途を欠くように侵害向けに作られているかのいずれかでしか示せないと整理しました。これを受けてXは3月27日、従前の一部却下決定を支えていた法理はもはや維持できず、残っている請求も法律上失当だとして、訴訟全体の打ち切りに向けた申立てを行っています。
争点の重心が変わった
この判決の本質は、争点の中心が「侵害を知っていたのに十分に止めなかったか」から、「侵害利用を促進する意思があったといえるか」へと移ったことです。最高裁は、単にサービスが侵害に使われうることを知っていた、あるいは反復侵害者を十分に排除しなかったというだけでは足りないと明確に述べました。つまり、従来の「見て見ぬふり」論だけでは、サービス提供者に寄与侵害責任を負わせにくくなったということです。
この点で、Xにとってコックス判決はかなり強い追い風です。Xのサービスは、ニュース閲覧、意見表明、企業広報、災害時の情報伝達など、明らかに多数の非侵害用途を持っています。そうである以上、最高裁が示した「侵害向けに仕立てられたサービス」という類型にXをそのまま当てはめるのは容易ではありません。Xが今回の書面で、「自社サービスには実質的な非侵害用途があり、侵害を積極的に誘発した具体的行為も訴状上示されていない」と主張しているのは、まさにこの最高裁基準を真正面から使ったものです。
Xに追い風、それでも自動勝訴ではない
もっとも、ここで「Xの勝ちが決まった」とまではまだ言えません。なぜなら、2024年の地裁判断は、単なる一般論としての「放置」を問題にしたのではなく、かなり具体的な運用実態に着目していたからです。地裁が残したのは、認証済みユーザーにより緩い著作権執行を与えていた可能性、削除要請への対応を不当に遅らせていた可能性、そして悪質な反復侵害者に対して意味のある措置を取らなかった可能性の三つでした。裁判所は、これらが事実であれば、単なる受動的放置ではなく、侵害を助ける方向の能動的・有責的な行為と評価しうると見ていました。
ここが重要です。コックス判決は「知っていたのに止めなかった」だけでは足りないと言いましたが、他方で「具体的行為によって侵害を促した」なら別だとも言っています。そうすると、音楽出版社側は今後、Xの行為を単なる管理不全としてではなく、認証制度や執行の差別化、対応遅延の設計、反復侵害者への優遇的取扱いといった、より“促進”に近いストーリーに組み替えて主張してくるはずです。訴訟の勝負どころは、まさにそこに移ると思われます。
さらに見逃せないのは、ソトマイヨール判事の補足意見です。補足意見は、最高裁多数意見が寄与侵害の理論を二つの類型に狭く閉じすぎており、より広いコモンロー上の幇助法理がなお問題となりうる余地を十分に扱っていないと示唆しました。ただし、それでも本件コックスの事実関係では必要な意図を立証できないとして、結論自体には同意しています。つまり、最高裁はXに強い武器を与えましたが、二次的責任の理論的可能性を完全に封鎖したわけではない、というのがより正確な読み方です。
問われるのは「放置」ではなく「設計」と「誘導」
今回の一連の動きが実務に与える示唆は大きいです。今後のプラットフォーム訴訟では、DMCA通知を何件受けたか、何件削除し損ねたかといった数量面だけではなく、プロダクト設計、収益化構造、アルゴリズム上の優遇、対応遅延の内部理由、特定ユーザーへの例外的運用といった、運営判断の中身がより重要になるはずです。最高裁は、DMCAセーフハーバーの要件を満たさないこと自体が、そのまま非侵害抗弁を不利にするわけではないとも述べており、著作権者側にとっては「制度不遵守の指摘」だけで押し切る戦い方がしにくくなりました。
逆に言えば、権利者にとってこれから必要になるのは、「このサービスは侵害に使われた」ではなく、「この運営会社は侵害利用が起きやすく、続きやすく、儲かりやすいように仕組んでいた」と言えるだけの具体的証拠です。X訴訟は、その新しい立証競争の最初の代表例になるかもしれません。プラットフォーム責任論は今後も続きますが、その焦点は“放置責任”から“誘導責任”へと確実に移りつつあります。
結論
私の見立てでは、コックス判決はXにかなり有利です。ただし、それは「SNSだから当然に免責される」という意味ではありません。最高裁が弱めたのは、侵害を知りながら十分な対応をしなかったというだけの責任論であって、サービス設計や運用方針そのものが侵害促進と評価される場合まで免罪したわけではないからです。今回の訴訟の核心は、Xが単に甘かったのか、それとも侵害が起きても構わない、あるいは起きたほうが都合がよいような運用をしていたのかという一点に、これまで以上に鋭く収れんしていくはずです。
