エンレスト売上半減でも利益は予想超え――ノバルティス決算が映す「特許の崖」の越え方

スイスの製薬大手ノバルティスが発表した第2四半期決算は、主力の心不全治療薬「エンレスト」の売上高が前年同期比で50%減少した一方、がん治療薬を中心とする新薬の成長とコスト削減によって、コア営業利益が市場予想を上回る結果となりました。

特別項目調整後の営業利益は59億4000万ドルとなり、アナリストの平均予想である約53億1000万ドルを大きく上回りました。総売上高も、為替変動の影響を除いたベースで1%増の144億1000万ドルとなっています。

今回の決算は、製薬企業にとって避けることのできない「特許切れ」と、その後の事業構造の転換を考えるうえで、象徴的な事例といえます。

エンレスト売上半減が示す特許切れの破壊力

ノバルティスが現在直面している最大の課題は、総売上高の約10%を占めてきたエンレストの特許切れです。

エンレストの売上高は、米国におけるジェネリック医薬品との競争激化によって、前年同期比50%減の11億8000万ドルとなりました。市場予想の12億3000万ドルも下回っています。

新薬の研究開発には長い期間と巨額の費用が必要ですが、医薬品が承認されて市場に定着すれば、特許によって一定期間は競争を抑えながら大きな収益を得ることができます。しかし、特許が切れて後発医薬品が参入すると、価格競争や処方の切り替えが急速に進み、売上高が短期間で大きく落ち込むことがあります。

このように、主力製品の特許切れによって売上高や利益が急減する現象は、一般に「パテントクリフ」と呼ばれます。今回のエンレストの売上半減は、その影響が決して緩やかなものではないことを改めて示しています。

キスカリとセムブリックスが新たな収益の柱に

一方、ノバルティスの決算には、主力薬への依存から脱却しつつある兆候も表れています。

乳がん治療薬「キスカリ」の売上高は44%増の17億ドルとなり、慢性骨髄性白血病治療薬「セムブリックス」はほぼ倍増の5億6200万ドルとなりました。乾癬治療薬「コセンティクス」も、米国における約1億ドルの特別要因を含めて12%増の18億2000万ドルに成長しています。

特に注目すべきなのは、エンレストの減収を一つの大型製品だけで補うのではなく、複数の成長製品によって吸収している点です。

製薬企業にとって、売上高を一つの「ブロックバスター」に依存する戦略は、成功時には高い収益性をもたらす一方、特許切れや安全性問題、競合薬の登場によって経営が大きく揺らぐ危険性があります。そのため、適応症や作用機序の異なる複数の製品を育て、収益源を分散することが重要になります。

今回の決算からは、ノバルティスがエンレスト中心の収益構造から、キスカリ、セムブリックス、コセンティクスなどを組み合わせたポートフォリオ型の収益構造へ移行しようとしていることが読み取れます。

利益予想超えを支えたコスト削減

もっとも、営業利益が市場予想を上回った理由を、新薬の成長だけで説明することはできません。

ノバルティスのコア販売管理費は32億4000万ドルとなり、前年同期比で6%減少しました。生産性向上や営業費用の抑制が、エンレストの急減による利益への影響を和らげたと考えられます。

バークレイズも、利益が予想を上回った主な理由として営業費用の抑制を挙げています。

これは、今回の好決算を評価する際に重要な点です。売上高の成長によって利益が増えた場合と、支出を減らすことによって利益を維持した場合とでは、その持続可能性が異なります。

コスト削減は特許切れへの対応策として有効ですが、研究開発や新薬の販売体制まで縮小すれば、将来の成長機会を損なう可能性があります。製薬会社には、短期的な利益を確保しながら、次世代製品への投資を継続するという難しい経営判断が求められます。

ノバルティスが通期のコア営業利益について、為替変動の影響を除いたベースで1桁台前半の減少という見通しを据え置いたことも、慎重に見る必要があります。上期に費用抑制の効果が表れた一方、下半期には研究開発費や販売促進費などの支出が増える可能性があります。

次の焦点は2030年代を支える新薬候補

投資家の関心は、現在の決算だけでなく、開発中の「ペラカルセン」「レミブルチニブ」「デルデシラン」の治験結果にも向けられています。

これらの新薬候補は、ピーク時の年間売上高が合計100億ドル規模になると試算されており、2030年以降のノバルティスの成長を左右する存在とみられています。

現在成長しているコセンティクスやキスカリも、将来的には特許切れを迎えます。つまり、エンレストの減収をキスカリなどで補うだけでは、問題を先送りしたにすぎません。現在の成長製品が成熟する前に、その次の世代の製品を市場に投入する必要があります。

ただし、新薬候補の売上予測には不確実性があります。治験で期待した結果が得られない可能性に加え、承認審査、競合薬、薬価、医療保険による償還、医師や患者への浸透など、多くの要因が実際の売上高を左右します。

ピーク時売上高100億ドルという数字は魅力的ですが、それは確定した将来収益ではなく、複数の開発・事業化リスクを乗り越えた場合の期待値として捉える必要があります。

医薬品の特許戦略は「保護」から「世代交代」へ

製薬業界における特許戦略は、一つの有力な化合物を長期間保護することだけでは完結しません。

物質特許に加えて、製剤、用法・用量、適応症、併用療法、製造方法などに関する周辺特許を整備することで、製品の競争力を一定期間維持できる可能性があります。しかし、特許による保護を永久に続けることはできません。

最終的に必要なのは、既存製品の保護期間中に次の製品を育て、収益の中心を切れ目なく移していくことです。その意味では、製薬会社の知的財産戦略は、単なる独占期間の延長ではなく、研究開発パイプライン全体を通じた「製品の世代交代の設計」であるといえます。

今回のノバルティスの決算では、エンレストの特許切れによる急減収、新薬の販売拡大、費用削減による利益確保、次世代候補への期待という四つの要素が同時に表れました。

ノバルティスは「特許の崖」を越えられるか

第2四半期のノバルティスは、エンレストの売上半減という大きな打撃を受けながらも、キスカリやセムブリックスの成長とコスト管理によって、市場予想を上回る利益を確保しました。

これは、特許切れへの対応が一定の成果を上げていることを示しています。ただし、利益の上振れが費用抑制に支えられている以上、今回の決算だけで長期的な成長軌道への復帰を判断することはできません。

今後の焦点は、成長中の製品がエンレストの減収を継続的に補えるか、そして開発中の新薬候補が2030年代の新たな収益源へ成長できるかという点に移ります。

ノバルティスが直面しているのは、単なる一製品の売上減少ではありません。現在の主力薬から次の主力薬へ、さらにその先の候補薬へと収益の中心を移し続ける、製薬企業特有の継続的な世代交代です。

今回の決算は「特許の崖」を越えるための橋が架かり始めたことを示していますが、その橋が2030年代までつながっているかどうかは、今後公表される治験データと新薬の事業化能力によって決まることになります。