Apple vs. Masimo──血中酸素センサーを巡る知財紛争が示すもの

Apple Watchの血中酸素センサーを巡る訴訟で、Appleが約980億円もの支払いを命じられたというニュースは、単なる「巨額賠償」の話にとどまらず、ウェアラブル市場における技術・知財戦略の難しさを改めて浮き彫りにした出来事だと感じます。

以下では、この訴訟の背景と本質、企業戦略上の意味、今後予想される展開について考察します。

長期化するAppleとMasimoの対立構造

今回の訴訟は「血中酸素センサーの特許侵害」が核心ですが、両社の対立は2010年代後半から継続的に続いてきました。

Masimoの主張

  • AppleがMasimoの医療技術者をヘッドハンティングした
  • パルスオキシメトリー技術をApple Watchに不正利用した
  • ITCはMasimo寄りの判断を下し、一時はApple Watchの輸入禁止命令まで発動

Appleの反論

  • 該当特許はすでに失効している
  • 技術は古く、近代的なウェアラブル設計とは別物
  • 逆にMasimoのスマートウォッチがAppleの特許を侵害しているとして提訴し勝訴

このように両社の争いは、「どちらが技術開発の正統性を持つか」という象徴的な意味合いも帯びています。

なぜApple Watchの機能削除まで発展したのか

2023年には、ITCの判断を受けてApple Watch Ultra 2とSeries 9の販売停止が実際に起きました。Appleが主要国で主力製品を販売停止するのは極めて異例で、それだけAppleにとって打撃の大きい決定だったといえます。

その後、税関・国境警備局により「再設計版の血中酸素測定機能」が認められ、アメリカ市場で機能復活となりました。しかし、この点もMasimo側から再び「特許侵害だ」として訴訟が提起され、今回の巨額賠償判決につながっています。

ウェアラブル機器において、健康管理機能はコア価値です。血中酸素測定が使えないApple Watchは、競争力が低下しかねません。Appleとしては、なんとしても機能を維持したい。
その姿勢が技術的な「再設計」へと繋がり、結果として新たな法廷闘争へ発展したともいえます。

陪審の判断が「特許侵害は血中酸素センサーだけではない」とした意味

今回の判決は、単に血中酸素センサーに限らず、「トレーニングモード」や「心拍数通知機能」までMasimo特許を侵害していると認定しました。

これは大きな意味を持ちます。

  • 単一のセンサー技術から
  • ユーザー体験(UX)全体に広がるアルゴリズム・通知機能まで
  • 特許侵害の範囲が拡大した

とも解釈できます。

ウェアラブルの付加価値が「計測」から「フィードバック・行動変容」へ進化した現在、UX全体を特許で守る戦略はますます重要になっています。
Masimoは医療分野の知財を守ろうとしているだけでなく、Apple Watchの中核UXにまで踏み込んだ形で争っている点が、今回の大きな特徴です。

AppleとMasimoの“ダブルスタンダード”裁判

興味深いのは「Appleは別件でMasimoを訴えており、その件ではAppleが勝訴している」という事実です。

つまり、

  • Masimo → Apple:勝訴(今回の約980億円)
  • Apple → Masimo:勝訴(Apple Watchの特許侵害)

両社は互いに相手を訴え、互いに勝っている構造です。
これは単純な「技術盗用 vs. 盗用された」の構図ではなく、ウェアラブル市場が広範囲の技術領域を覆っており、双方が競争する中で特許領域が重なりやすいことを示しています。

なぜこの争いがここまで大きくなるのか──3つの背景

医療・ヘルスケア領域の知財は「極めて厳格」

命や健康に関わる技術は、特許の守備範囲が細かく設定されており、侵害認定も厳しく下される傾向があります。

ウェアラブル市場は今後の成長領域

Apple、Masimoともに「ヘルスケアは未来の収益源」だと認識しており、譲れない領域となっています。

ユーザー体験がソフトウェアとハードウェアの複合体

センサー・アルゴリズム・通知・アプリの一体性が高く、どこからどこまでが特許か境界が曖昧になりやすいという事情があります。

今後の展開──Appleは控訴、そして長期戦へ

Appleは即座に控訴の意向を示しており、争いはさらに長期化する可能性が高いです。

今後予想されるポイント

  • 控訴審で賠償額が減額される可能性
  • 「再設計版」機能の合法性を巡る追加審査
  • 両社の交渉による和解の可能性
  • Appleが独自センサー技術を強化し、Masimo依存を完全に排除する動き

Appleとしては、自社のヘルスケア機能が市場戦略の中心である以上、ここで後退する選択肢はありません。
一方、Masimoとしては大企業Appleとの知財戦争で勝利したことで、医療技術メーカーとしてのブランド価値を大きく高めるチャンスです。

ウェアラブル時代の「知財戦争」はますます激化する

今回の判決は、単なるAppleの敗北というよりも、ウェアラブル市場が成熟し、知財の争奪が激しくなっていることを象徴しています。

センサー技術、アルゴリズム、UX、医療的信頼性──
すべてが競争力の源泉になり、同時に特許で守られる対象にもなる時代になりました。

AppleとMasimoの訴訟は、その新しい競争時代の“序章”に過ぎないのかもしれません。

今後の展開からも目が離せません。