津田健次郎さんの「AI声」訴訟が問う、声優の声は誰のものか

導入

人気声優の津田健次郎さんが、動画共有アプリ「TikTok」の運営会社を相手取り、生成AIで自身の声を無断で模倣した動画の削除を求めて東京地裁に提訴したことが報じられました。報道によれば、氏名不詳のアカウントが、津田さんの声を生成AIで模倣したナレーション付き動画をTikTok上に180本以上公開していたとされ、津田さん側はパブリシティ権の侵害などを主張しています。提訴は2025年11月で、生成AIによる「声」の無断利用をめぐる訴訟として注目されています。

津田健次郎さんは、「呪術廻戦」の七海建人役などで知られる声優であり、俳優としても活動しています。そのため、今回の問題は単に「似た声の動画が投稿された」という話にとどまりません。声優にとって声は、表現手段であると同時に、本人を識別させ、作品や商品への関心を引き寄せる重要な価値そのものです。

争点は「声そのもの」をどう守るか

今回の訴訟で特に重要なのは、問題となっているのが顔写真や氏名ではなく、「声」である点です。

従来、パブリシティ権は、著名人の氏名や肖像などが持つ顧客吸引力を無断で利用された場合に問題とされてきました。日本では明文の法律で細かく定められている権利というより、判例上認められてきた権利です。もっとも、近年は、生成AIにより本人の声を高精度に再現できるようになったことで、「声」も本人を識別させる情報として保護されるべきではないかという議論が強まっています。法律実務上も、声がパブリシティ権の対象に含まれ得るとの整理が示されています。

一方で、声そのものを著作権で保護することには一般に高いハードルがあります。声は、発声器官によって生じる音であり、著作権法上の「表現」そのものというより、表現の手段と整理されることが多いためです。したがって、今回のような事案では、著作権だけでなく、パブリシティ権、不正競争防止法、人格権的な利益など、複数の法的枠組みから検討されることになります。

「普遍的な男性の声」という反論の重み

報道によれば、TikTok側は、問題となった音声について「普遍的な男性の声」であるとして、津田さん側の請求棄却を求めているとされています。

この反論は、今回の訴訟の核心を示しています。つまり、その声が単に低く落ち着いた男性の声にすぎないのか、それとも一般の視聴者が津田健次郎さんを想起する程度に特徴的な声なのかが問われることになります。

声優の声は、単なる音色ではありません。発声、間、抑揚、息遣い、語尾の処理、役柄との結び付きなどが積み重なり、本人のブランドを形成します。特に津田さんのように、声そのものに強い認知度がある人物の場合、AIで生成された音声が本人の声を想起させれば、視聴者は本人が関与しているかのように受け止める可能性があります。

したがって、裁判では、音声の類似性だけでなく、動画の表示態様、投稿本数、収益化の有無、視聴者の認識、本人の氏名や代表作との関連付けなどが総合的に問題になると考えられます。

声優にとって「声」は職業上の資産である

この問題が重いのは、声優にとって声がまさに仕事の中核だからです。

俳優であれば顔や身体表現、歌手であれば歌声、声優であれば声の演技が職業的価値の中心にあります。そこに生成AIが入り込み、本人の許諾なく「それらしい声」を大量に生成し、動画として流通させることが可能になると、本人の仕事の市場が侵食されるおそれがあります。

たとえば、広告、解説動画、ゲーム、オーディオブック、キャラクター音声などの分野では、声優本人に依頼する代わりに、AIで似た声を作ればよいという発想が生まれかねません。これは、単なるファン投稿の問題ではなく、声優の職業的価値を無断で代替する問題です。

さらに、本人が言っていない内容を、本人の声に似せて語らせることもできます。政治的発言、商品推薦、過激な発言、詐欺的な誘導などに使われれば、本人の信用やイメージが傷つくおそれもあります。生成AI時代の「声の無断利用」は、経済的被害と人格的被害が重なりやすい点に特徴があります。

プラットフォームの責任も問われる

今回の訴訟では、氏名不詳のアカウントではなく、TikTokの運営会社が相手方とされています。ここにも重要な意味があります。

AI音声を投稿した本人が特定できない場合、権利者にとって現実的な対応先はプラットフォームになります。投稿者が匿名で、動画が大量に拡散され、削除しても再投稿されるような状況では、個別投稿者だけを追っていても被害を止めることが難しいからです。

もちろん、プラットフォームがすべての投稿について事前に完全な審査を行うことは現実的ではありません。しかし、権利者から具体的な申告を受けた後に、どの程度迅速かつ実効的に対応すべきかは、今後ますます重要な論点になります。

生成AIによる権利侵害は、投稿の作成コストが低く、量産が容易です。そのため、従来型の「問題投稿を見つけたら削除する」という対応だけでは追いつかない場面が増えると考えられます。プラットフォームには、本人確認、AI音声の検出、権利者向け通報窓口、再投稿防止など、より実効性のある仕組みが求められる可能性があります。

表現の自由との線引きも必要

もっとも、声に似ている表現をすべて禁止すべきだという話ではありません。

ものまね、パロディ、批評、ファン創作などは、表現文化の一部として重要な役割を果たしてきました。声優や俳優の特徴をまねる表現自体を広く規制しすぎれば、表現の自由や二次創作文化を萎縮させるおそれがあります。

問題にすべきなのは、本人の声であるかのように誤認させる利用、本人の顧客吸引力を利用して収益を得る利用、本人の信用を損なう利用、本人の許諾があるかのように見せる利用です。特に、生成AIによる高精度な音声模倣は、従来のものまねよりも本人性の誤認を生じさせやすいため、従来より慎重な線引きが必要になります。

今回の訴訟は、その線引きを裁判所がどのように考えるかを示す重要な機会になります。

企業・制作者が取るべき対応

今回のニュースは、声優業界だけの問題ではありません。広告会社、動画制作者、ゲーム会社、アニメ制作会社、音声合成サービス事業者、SNS運営者など、声を扱うすべての事業者に関係します。

今後、企業が生成AIで音声を利用する場合には、少なくとも、本人または権利管理者から明確な許諾を得ること、利用範囲を契約で定めること、学習利用と生成利用を区別すること、第三者の声に似すぎていないかを確認することが必要になります。

また、声優や俳優の側でも、出演契約や収録契約の中で、AI学習への利用可否、音声クローンの作成可否、二次利用の範囲、契約終了後の利用、海外配信での扱いなどを明確にしておく必要があります。従来の「収録音声の利用許諾」だけでは、生成AI時代のリスクを十分にカバーできない場面が増えると考えられます。

まとめ

津田健次郎さんの訴訟は、生成AIによって「声」が簡単に複製・量産される時代に、声優の声をどのように守るべきかを問う象徴的な事案です。

これまで、著名人の権利保護は、氏名や肖像を中心に議論されることが多くありました。しかし、声優やナレーター、俳優、歌手にとって、声は本人の人格と職業的価値を強く結び付ける重要な資産です。生成AIがその声を無断で再現できるようになった以上、法制度、契約実務、プラットフォーム運営のすべてが変化を迫られています。

今回の裁判で直ちにすべての問題が解決するわけではありません。それでも、この訴訟は、「AIで作ったから自由に使える」という発想に対し、明確な問いを投げかけています。

声は単なるデータではありません。人を識別させ、信頼を生み、仕事を支える表現の核です。生成AI時代において、その価値をどこまで、どのように守るのか。今回の訴訟は、日本のエンタメ業界と知的財産実務にとって、大きな転換点になる可能性があります。