はじめに
欧州特許庁、いわゆるEPOのアントニオ・カンピーノス長官が共同通信の書面取材に応じ、人工知能、すなわちAI関連の発明の増加が特許制度に「新たな課題を提起している」と指摘しました。AI関連特許の出願は世界的に急増しており、その対象も医療、エネルギー、交通など多様な分野に広がっています。さらに、出願の担い手も大企業だけでなく、新興企業や研究機関などへ広がっており、技術開発の主役が多極化していることも特徴です。その中で、AIを活用した発明について「発明者は人間である」という特許制度の根幹に関わる問題が改めて浮上しています。
AI関連発明の増加は単なる技術トレンドではない
今回の発言で重要なのは、AI関連発明の増加を単なる出願件数の増加として捉えていない点です。AIは、特定の業界だけで使われる技術ではなく、医療診断、創薬、電力制御、自動運転、物流、製造、金融、コンテンツ生成など、ほぼあらゆる産業の基盤技術になりつつあります。
つまり、AI関連特許の増加は、情報通信分野だけの話ではありません。従来は機械、化学、電気、医療、建築、交通といった分野ごとに整理されていた技術開発の中に、AIが横断的に入り込んでいるということです。特許制度はこれまで、発明を技術分野ごとに審査し、先行技術との差異を評価する仕組みを発展させてきました。しかし、AIが多様な分野に組み込まれると、審査においても「AIそのものの技術的特徴」と「AIを使った応用分野の技術的特徴」をどう切り分けるかが重要になります。
問題の核心は「AIが発明したのか、人間が発明したのか」
AI関連発明を巡る論点には、大きく分けて二つの側面があります。一つは、AIそのものに関する発明です。たとえば、新しい学習モデル、推論方法、データ処理方法、画像認識技術、自然言語処理技術などがこれに当たります。
もう一つは、AIを道具として使って生み出された発明です。たとえば、AIが候補化合物を提案し、人間がその中から有望な物質を選んで医薬用途を見いだす場合や、AIが設計案を大量に生成し、人間がその中から最適構造を選択して製品化する場合です。
前者は「AIに関する発明」として比較的整理しやすい面があります。しかし、後者は「誰が発明者なのか」という根本問題を含みます。AIが候補を出しただけなのか、AIが実質的に発明の完成に近い役割を果たしたのか、人間は単なる確認者だったのか、それとも技術的思想を具体化した主体だったのか。この境界は、今後ますます曖昧になっていきます。
「発明者は人間である」という原則の意味
カンピーノス長官が指摘した「発明者は人間である」という問題は、単なる形式論ではありません。特許制度は、発明をした者、またはその承継人に独占権を与える制度です。そこでは、発明者という概念が権利の出発点になります。
もしAIを発明者として認めるなら、AIには権利能力があるのか、AIから誰に権利が承継されるのか、AIの所有者が権利者になるのか、AIを使った利用者が権利者になるのか、といった問題が連鎖的に発生します。これは、単に願書の発明者欄に何を書くかという問題ではなく、特許を受ける権利の帰属そのものに関わります。
一方で、AIを発明者として認めない場合でも問題は残ります。AIの関与が極めて大きい発明について、人間のどの行為をもって「発明した」と評価するのかを明確にしなければならないからです。プロンプトを入力しただけで発明者といえるのか、AIの出力を評価して技術的意義を見いだした者が発明者なのか、実験で効果を確認した者が発明者なのか。実務上は、この判断が非常に難しくなります。
企業実務では「発明の記録」がより重要になる
AI時代の特許実務で重要になるのは、発明の完成過程をどれだけ具体的に記録できるかです。AIを使った研究開発では、誰が、どのような課題を設定し、どのAIツールを使い、どのような入力を行い、どの出力を採用し、どのような技術的判断を加えたのかを残しておく必要があります。
特に、共同研究やスタートアップとの協業では、この点が重要です。AIツールの提供者、データの提供者、研究者、開発担当者、実験担当者、事業会社が関与する場合、誰が発明者で、誰に権利が帰属するのかが曖昧になりやすいからです。
今後は、AIを使った発明について、研究ノート、プロンプト履歴、出力結果、採否判断、実験結果、改良過程などを整理しておくことが、出願前の重要な管理項目になります。AIを使ったから特許が取れないということではありませんが、AIをどのように使い、人間がどこで技術的創作に関与したのかを説明できることが重要になります。
多極化が進むことで、特許制度の調整はさらに難しくなる
カンピーノス長官が指摘した「多極化」も見逃せません。AI関連発明は、大企業だけでなく、スタートアップ、大学、研究機関、個人開発者によっても生み出されます。これはイノベーションの裾野が広がっているという意味では望ましい動きです。
しかし、担い手が多様化すると、特許制度の運用も複雑になります。大企業であれば、発明届出、職務発明規程、契約、知財部門によるチェック体制が整っていることが多いです。一方で、スタートアップや研究機関では、AIツールの利用条件、共同研究契約、データの権利関係、発明者認定のルールが十分に整理されていない場合があります。
その結果、有望なAI関連発明であっても、出願時点で権利帰属や発明者の整理が不十分となり、後から紛争の原因になる可能性があります。AI時代には、技術開発のスピードだけでなく、知財管理の設計力も競争力の一部になります。
各国協調が必要になる理由
AI発明者性の問題は、一国だけで解決できる問題ではありません。特許は国ごとの制度ですが、AI関連ビジネスは最初から国境を越えて展開されます。欧州、日本、米国、中国、韓国などで発明者の考え方やAI生成発明の扱いが大きく異なると、同じ技術について国ごとに出願戦略や権利帰属の整理を変えなければならなくなります。
その意味で、EPO長官が各国関係機関と協調して取り組む意向を示したことは重要です。完全に同一の制度にする必要はないとしても、少なくとも、AIが関与した発明について、どのような人間の関与があれば発明者性を認めるのか、どのような記載や証拠が必要なのかについて、国際的な共通理解を形成する必要があります。
AI技術は急速に進化しますが、特許制度は権利の安定性を重視する制度です。この速度差をどう埋めるかが、今後の大きな課題になります。
AI時代の特許制度は「人間の創作」を再定義する
AIが発明の過程に深く入り込むほど、特許制度は「人間が発明する」とは何かを問い直すことになります。従来は、課題を見つけ、解決手段を考え、効果を確認する一連の過程を人間が担うことが当然の前提でした。しかし、AIが候補を生成し、設計を最適化し、実験条件を提案する時代には、人間の役割は変化します。
これから重要になるのは、人間がすべてを自力で考えたかどうかではありません。AIの出力を技術的に評価し、課題との関係で意味づけ、実施可能な形に具体化し、社会に役立つ技術として仕上げたかどうかです。
つまり、AI時代の発明者性は、「発想を最初に出したのは誰か」という単純な問いから、「技術的創作に本質的に寄与した人間は誰か」という問いへ移っていくと考えられます。
おわりに
EPO長官の発言は、AI関連特許の増加に対する一般的な警戒感を示したものにとどまりません。そこには、特許制度の根幹である発明者概念、権利帰属、審査実務、国際協調という複数の論点が含まれています。
AIは、発明を補助する強力な道具です。しかし、AIが強力になればなるほど、人間の創作的関与をどのように評価するかが重要になります。今後の特許実務では、AIを使うこと自体ではなく、AIを使って人間がどのような技術的判断を行ったのかを明確にすることが求められます。
AI時代の特許制度は、AIを発明者として認めるか否かという単純な二択だけでは整理できません。むしろ問われているのは、人間の創作、AIの支援、技術的貢献、権利の安定性をどのように両立させるかです。今回のEPO長官の発言は、その議論がいよいよ本格化していることを示しているといえます。
