Circle Internet Groupは2026年7月27日、IBMが保有するブロックチェーン特許ポートフォリオの主要資産を取得したと発表しました。取得対象は680を超える特許ファミリーと、世界で約1,000件に及ぶ登録特許です。対象技術は、ブロックチェーンの基盤技術だけでなく、銀行、金融サービス、保険、企業向けシステム、サプライチェーンの検証、セキュアなクラウド運用など、幅広い領域に及びます。Circleは今回の取得により、米国におけるブロックチェーン特許の主要な保有企業になったと説明しています。
今回の動きは、暗号資産USDCを発行する企業による単なる特許の買い増しではありません。Circleが、ステーブルコインの発行体という立場を超え、決済、送金、ブロックチェーン、クラウド、企業システムを一体的に提供する金融インフラ企業へと移行しようとしていることを示す出来事です。
重要なのは特許の「件数」よりも「広がり」
今回のニュースでは、約1,000件という登録特許の多さが目を引きます。しかし、事業戦略を考えるうえでより重要なのは、特許の件数そのものよりも、取得した権利がカバーする技術領域の広さです。
特許ファミリーは、一般に、同一または関連する発明について複数の国や地域に出願された特許群を表します。したがって、680を超える特許ファミリーを取得したということは、多数の国別特許をまとめて取得しただけではなく、相当数の異なる発明群を事業基盤に取り込んだ可能性を示します。
しかも、その対象はステーブルコインの発行やブロックチェーン上の送金処理だけに限定されていません。銀行業務、保険、企業向け基盤、サプライチェーンの検証、クラウドセキュリティまで含まれています。これは、Circleが将来的に金融機関や一般企業へサービスを提供する際に必要となり得る技術を、広い範囲で確保したことを意味します。
特許取得は新サービスの予告ではない
もっとも、特許を取得したからといって、特許に記載されたすべての技術がCircleのサービスに実装されるわけではありません。
企業が特許ポートフォリオを取得する目的には、自社製品への技術利用だけでなく、第三者から権利行使を受けるリスクへの備え、他社とのライセンス交渉、共同開発における交渉力の確保、将来の事業領域への参入余地の確保などがあります。
そのため、今回の取得を「Circleが直ちに新しい金融サービスを投入する」という意味で捉えるのは早計です。むしろ、今後どの方向に事業が拡大しても対応できるように、技術的・法的な選択肢をまとめて確保したと見るべきです。
Circleの発表でも、個々の特許をどの製品に利用するのか、取得額はいくらか、第三者へのライセンスをどのように扱うのかといった詳細までは示されていません。一方で、CircleとIBMは、今後の追加的な商業機会についても検討するとしています。
USDCを守るだけではない知財戦略
Circleは、今回取得した知的財産基盤が、USDC、Circle Payments Network、Arc、そのほかのオンチェーン製品や金融ツールを直接支えると説明しています。
USDCは、米ドルなどの法定通貨を基礎とするステーブルコインです。しかし、USDCというトークンが存在するだけでは、世界規模の金融インフラは完成しません。
実際に企業や金融機関が利用するためには、法定通貨との交換、本人確認、不正利用対策、ウォレット管理、異なるブロックチェーン間の資金移動、取引記録の検証、既存の銀行システムとの接続など、多数の技術が必要です。
Circle Payments Networkは、参加金融機関を接続し、ステーブルコインを利用した国際的な支払いや決済を実現するネットワークとして位置付けられています。また、Arcは、世界的なインターネット経済の需要に対応するためのレイヤー1ブロックチェーンとして提供されています。
つまり、Circleが競争しようとしている市場は、単なるステーブルコイン発行市場ではありません。ステーブルコインを利用して、企業間決済、国際送金、資産移転、金融商品の取引、プログラム可能な支払いを動かすための総合的な基盤市場です。
今回の特許取得は、その基盤市場において自社が継続的に技術を開発し、サービスを提供するための防御力と交渉力を高めるものと考えられます。
IBMの企業向け技術との親和性
IBMは、企業向けの許可型ブロックチェーンであるHyperledger Fabricを基盤としたシステムを展開してきました。許可型ブロックチェーンでは、匿名の不特定多数が参加する仕組みとは異なり、参加者の身元や権限を管理し、企業間で取引情報を共有します。IBMは、金融、サプライチェーン、資格情報管理などの領域で、このような企業向けブロックチェーンの利用を進めてきました。
この蓄積は、Circleが今後、金融機関や大企業との接続を拡大していくうえで高い親和性を持ちます。
個人が暗号資産を送受信するサービスと、複数の銀行や企業が参加する決済基盤とでは、求められる技術が異なります。後者では、参加者の権限管理、機密情報の保護、監査可能性、システム障害への対応、規制当局への説明可能性などが重要になります。
IBMが長年蓄積してきた企業向けブロックチェーン特許には、こうした実務上の課題に関する技術が含まれている可能性があります。Circleにとっては、ゼロから企業向けの知財ポートフォリオを構築するよりも、既存の大規模なポートフォリオを取得する方が、時間と不確実性を抑えられる面があります。
ステーブルコイン競争は「発行残高」から「技術レイヤー」へ
これまでステーブルコイン市場では、発行残高、取引量、対応する取引所やブロックチェーンの数などが主要な競争指標として注目されてきました。
しかし、企業利用が拡大するにつれて、競争の中心はステーブルコイン自体から、その周辺にある技術レイヤーへ移りつつあります。
金融機関との接続を誰が提供するのか、複数のブロックチェーン間で安全に資金を移動させる仕組みを誰が持つのか、企業の会計・財務システムとどのように統合するのか、規制対応をシステム上どのように実現するのかといった点が、サービスの採用を左右します。
Circleはすでに、USDCに加えて、国際的な支払いに利用するCircle Payments Network、独自ブロックチェーンのArc、クロスチェーン送金技術、ウォレット、スマートコントラクト関連サービスなどを展開しています。
この事業構成を踏まえると、今回の取得はUSDCの市場シェアを直接増加させる施策というより、USDCを利用する金融インフラ全体の競争力を強化する施策と評価できます。
特許は「独占」のためだけにあるのではない
ブロックチェーンの分野では、オープンソースソフトウェアが重要な役割を果たしています。そのため、大規模な特許取得については、技術の囲い込みにつながるのではないかという見方も生じます。
しかし、オープンソースと特許は必ずしも対立するものではありません。ソフトウェアのソースコードが公開されていても、その周辺にあるシステム構成、認証方法、取引処理、セキュリティ、企業間連携などについて特許が成立している場合があります。
また、企業が特許を保有する目的も、他社を排除することだけではありません。自社サービスを守るための防衛的保有、他社とのクロスライセンス、提携先への利用許諾、標準化活動における権利関係の整理など、さまざまな活用方法があります。
したがって、今後注目すべきなのは、Circleが何件の特許を持っているかだけではなく、それらをどのような方針で運用するかです。
Circleが取得した特許を主として防衛的に利用するのか、パートナー企業へライセンスするのか、競合企業に対して権利行使するのかによって、市場への影響は大きく変わります。
今後確認すべき四つのポイント
今回の発表後、特に確認すべきなのは、取得した特許とCircleの各サービスとの対応関係です。
第一に、USDC、Circle Payments Network、Arcなどの既存サービスに、どの特許が実際に利用されるのかという点です。
第二に、取得したポートフォリオのうち、現在も十分な残存期間を有し、事業上重要な国で有効に存続している特許がどの程度あるのかという点です。
第三に、Circleが第三者へのライセンス方針や権利行使方針をどのように定めるのかという点です。
第四に、CircleとIBMが検討するとしている追加的な商業機会が、共同開発、技術提供、クラウドサービス、ライセンスのいずれにつながるのかという点です。
特許ポートフォリオは、保有しているだけで事業価値を生むものではありません。自社の製品や研究開発、提携戦略と結び付けて初めて、競争力の源泉になります。
Circleが目指す「インターネット金融システム」
今回の特許取得が示しているのは、Circleが自らを単なる暗号資産企業とは考えていないということです。
Circleが目指しているのは、USDCというデジタル通貨を発行することだけではなく、その通貨が国境、金融機関、企業システム、複数のブロックチェーンを越えて移動するための仕組みを構築することです。
IBMから取得した広範な特許ポートフォリオは、その構想を技術面と知的財産面から支えるための資産になります。
今回の取得だけで、Circleが将来の金融インフラ市場で優位に立つことが保証されるわけではありません。特許の価値は、その有効性、残存期間、権利範囲、対象国、製品との対応関係によって大きく異なるからです。
それでも、約1,000件の登録特許を含むポートフォリオを一括して取得した事実は、Circleがステーブルコインの普及競争だけでなく、オンチェーン金融の基盤をめぐる長期的な競争を見据えていることを示しています。
ステーブルコイン市場の競争は、これから「どの通貨が多く使われるか」だけではなく、「その通貨を動かす技術、ネットワーク、規制対応能力、知的財産を誰が保有するか」を争う段階に入っていくのではないでしょうか。
